2026年4月労働法改正の本質:「努力義務」の多用が生む構造的格差と、企業が取るべき戦略的対応
〇 2026年4月、複数の労働関連法が同時改正される
2026年4月1日、労働安全衛生法、女性活躍推進法、育児・介護休業法、雇用保険法など、企業の労務管理に直接影響する複数の法律が同時に改正される。
クリアパートナーズの社会保険労務士・寺山真太郎氏がまとめた改正内容は、企業の人事労務担当者にとって重要な情報だ。しかし、社会保険労務士として、また障害者雇用戦略アドバイザーとして現場を見てきた立場から言えば、この改正には重大な構造的課題がある。
それは、「努力義務」という制度設計が多用されている点だ。
本稿では、2026年4月の労働法改正を7つの視点から分析し、それぞれが抱える本質的課題と、企業が今取るべき戦略的対応を、実務の視点から徹底的に解説する。
〇 1. 労働安全衛生法改正:がん等疾病を抱える従業員への支援が「努力義務」という問題
・ 改正の概要:フリーランス・業務委託も安全配慮義務の対象に
今回の労働安全衛生法改正で最も注目すべきは、2つの点だ。
1つ目は、これまで「自社の労働者」のみが対象だった安全配慮義務が、自社の場所で働くフリーランス・業務委託を含む「事業者・業務委託者」にまで拡大されること。
2つ目は、がん等の疾病を抱える従業員への支援が、企業の「努力義務」として明文化されること。
・ 「努力義務」という制度設計が生む格差
私が最も問題視するのは、この「努力義務」という言葉だ。
努力義務とは、法律上の強制力を持たない、いわば「できればやってください」という意味だ。罰則もなければ、行政指導もない。企業の自主性に委ねられる。
この制度設計では、何が起こるか。
余裕のある大企業は、専門部署を設け、予算を割き、産業医や保健師を配置して対応できる。一方、リソースの限られた中小企業は、「努力しろと言われても、何をどうすればいいかわからない」状態になる。
そして数年後、「中小企業は疾病を抱える従業員への支援が不十分だ」と批判される。この構造は、すでに障害者雇用、女性活躍推進、働き方改革など、あらゆる場面で繰り返されてきた。
・ 疾病を抱える従業員が本当に必要とするのは「配慮」ではなく「構造」
私は人工透析患者として10年間勤務した経験を持つ。週3回、1回4時間の透析治療を受けながら、フルタイムで働き続けた。
その経験から断言できるのは、疾病を抱える従業員が安心して働き続けるために必要なのは、「配慮」や「優しさ」ではなく、「回復可能性を組み込んだ業務設計」だということだ。
具体的には、以下の3つが不可欠になる。
・ (1) 業務の分散と標準化
特定の人に業務が集中せず、誰かが休んでも回る体制を作る。業務のマニュアル化、複数担当制、進捗の可視化。
これは疾病を抱える従業員だけでなく、すべての従業員の安全網になる。誰が突然休んでも、誰が退職しても、業務が止まらない組織は、持続可能な組織だ。
・ (2) 柔軟な勤務制度の「制度化」
通院や体調変動に対応できる勤務時間・場所の柔軟性。重要なのは、これを「個別の配慮」ではなく「制度として」設計することだ。
個別配慮は、優しい上司がいる間は機能するが、担当者が変わると途切れる。制度なら、担当者が変わっても引き継がれる。
私の透析治療は午後から始まることが多かった。だから、午前中に業務を集中させ、午後は早退するという勤務形態を取った。これが「制度」として認められていたから、周囲も納得し、私も安心して働けた。
・ (3) 成果の可視化と公正な評価
「病気だから仕方ない」という甘さではなく、限られた時間の中でどう成果を出すかを明確にする。
勤務時間が短くても、成果で評価される。これがあって初めて、本人も周囲も納得して働ける。
私は透析で勤務時間が限られていたが、成果は数字で示した。営業成績、プロジェクトの進捗、顧客満足度。こうした可視化された成果があったから、「時間は短くても、貢献している」と認められた。
・ リテンション(離職防止)の本質
記事では「離職防止(リテンション)の観点から重要」と述べられている。これは正しい。
しかし、リテンションの本質は「引き留めること」ではなく、「辞める理由をなくすこと」だ。
疾病を抱える従業員が辞める理由は、「体調的に働けない」からではなく、「体調が変動しても働ける仕組みがない」からだ。仕組みがあれば、辞める理由はなくなる。
〇 2. 健康経営の推進:「広報ツール」で終わらせないための視点
・ 改正内容:SDGsへの位置づけとストレスチェックの充実
労働安全衛生法の改正では、健康経営の推進も盛り込まれている。ストレスチェックの充実、企業の健康推進機能の配置、SDGsへの位置づけなど。
これ自体は悪いことではない。しかし、健康経営が「広報ツール」で終わる危険性がある。
・ 健康経営が形骸化する3つのパターン
企業支援の現場で見てきた、健康経営が形骸化するパターンは以下の3つだ。
パターン1:認定取得が目的化する
「健康経営優良法人」の認定を取ることが目的になり、認定後は何もしない。従業員の健康状態は変わらない。
パターン2:イベント実施で満足する
ヨガ教室、ウォーキングイベント、健康セミナー。こうしたイベントを実施して「健康経営やってます」とアピールするが、日常の業務負荷は変わらない。
パターン3:数値目標だけ追う
ストレスチェックの受検率、健康診断の受診率。こうした数値目標は達成するが、実際のストレス要因(長時間労働、ハラスメント、不公平な評価)は放置される。
・ 真の健康経営とは「働き続けられる構造」を作ること
真の健康経営とは、イベントでも認定でもなく、「従業員が心身ともに健康を維持しながら、長く働き続けられる構造」を作ることだ。
その構造とは、以下を含む。
– 適正な業務量と人員配置
– 休暇を取りやすい雰囲気と体制
– ハラスメントのない職場環境
– 公正な評価と納得感のある処遇
– キャリア形成の機会と成長実感
これらがあって初めて、従業員は健康を維持しながら働き続けられる。
・ 3. 女性活躍推進法改正:「公表」の先にある本質的課題
・ 改正内容:101人以上企業に男女間賃金差異と女性管理職比率の公表義務化
女性活躍推進法の改正では、常時雇用する労働者数101人以上の企業について、情報開示の必須項目として「男女間賃金差異」と「女性管理職比率」の公表が義務化される。
これは評価できる施策だ。透明性を高めることで、企業に改善のプレッシャーがかかる。
・ 「公表」が目的化してはならない
ただし、「公表すること」が目的化してはならない。
公表した後、その数字をどう改善するかの構造設計がなければ、単なる「恥さらし」で終わる。数字だけ公表して、改善策がない企業は、むしろレピュテーションリスクを抱える。
・ 男女間賃金差異の是正に必要な3つの取り組み
男女間賃金差異を是正するには、以下の3つが必要だ。
1. 職務評価制度の見直し
同じ職務、同じ成果であれば、性別に関わらず同じ賃金。これを実現するには、職務の価値を客観的に評価する制度が必要だ。
2. 昇進・昇格プロセスの透明性
「なぜこの人が昇進したのか」が明確であること。主観的な評価ではなく、客観的な基準に基づく昇進。
3. 育児との両立を前提とした業務設計
育児休業を取得しても、復帰後にキャリアが断絶しない仕組み。短時間勤務でも成果で評価される制度。
これらは「女性のため」の施策ではなく、「組織全体を強くする」施策として位置づけるべきだ。
・ 女性管理職比率の向上に必要なのは「数値目標」ではなく「環境整備」
女性管理職比率を上げるために、無理に女性を管理職に登用しても、持続可能ではない。
必要なのは、女性が管理職を目指したくなる環境を整えることだ。
– 管理職の業務負荷を適正化する(長時間労働前提の管理職をやめる)
– 育児との両立が可能な管理職のロールモデルを作る
– 評価制度の公平性を担保する(性別による不公平をなくす)
こうした環境整備があって初めて、女性管理職比率は自然に上がる。
・ 4. 育児・介護休業法改正:「子ども・子育て支援金」の企業負担増加
〇 改正内容:2028年度まで段階的に引き上げ
育児対策の財源確保のため、雇用保険に上乗せする形で「子ども・子育て支援金」の徴収が始まる。1人あたり月額350円からスタートし、2028年度まで段階的に引き上げられる。
・ 企業が対応すべきポイント
この改正では、社会保険や雇用保険に関連する制度・手続きが変わるため、給与計算システムの改修や、従業員への周知が必要になる。
ただし、これは単なる事務負担の増加ではない。企業にとっては、育児支援体制を見直す機会でもある。
支援金を徴収される以上、従業員が実際に育児支援を利用しやすい環境を作らなければ、納得感が得られない。
– 育児休業の取得促進(男性の取得率向上)
– 短時間勤務制度の柔軟化
– 復帰後のキャリア形成支援
こうした実質的な支援体制を整えることが、従業員の納得感とエンゲージメント向上につながる。
〇 5. 雇用保険法改正:情報公表義務の対象拡大
・ 改正内容:101人以上企業に拡大
雇用保険法の改正では、情報公表義務の対象企業が「常時雇用労働者数301人以上」から「101人以上」に拡大される。
公表が必須となる項目は、以下の2つだ。
1. 男女の賃金の差異
2. 管理職に占める女性労働者の割合
・ 対応のポイント:データの整備と分析
この改正で重要なのは、「公表すること」ではなく、「公表するために、自社のデータを正確に把握すること」だ。
多くの中小企業は、男女別の賃金データや管理職比率を、正確に把握していない。この機会に、人事データベースを整備し、自社の現状を分析することが重要だ。
そして、その分析結果をもとに、改善策を立案する。これが本質的な対応だ。
〇 6. 在職老齢年金制度:支給停止基準額の引き上げ
・ 改正内容:50万円から62万円へ
在職老齢年金制度における支給停止基準額が、月額50万円から62万円に引き上げられる。
これにより、高齢者が年金を受給しながら働く場合、より多くの賃金を得ても年金が減額されにくくなる。
・ 企業にとっての意味:高齢者雇用の促進
この改正は、企業にとって高齢者雇用を促進するインセンティブになる。
少子高齢化で労働力が不足する中、経験豊富な高齢者の継続雇用は、企業の競争力維持に不可欠だ。
ただし、高齢者雇用を単なる「人数確保」で終わらせてはならない。高齢者の経験と知識を、若手に継承する仕組みを作ることが重要だ。
〇 7. 登録型派遣・日雇派遣の制限緩和
・ 改正内容:出産・育児・介護等による離職者への適用拡大
登録型派遣や日雇派遣の制限が、出産・育児・介護等による離職者にも拡大される。従来は学生や年金受給者などに限定されていたが、適用範囲が広がる。
・ 柔軟な働き方の選択肢拡大
この改正は、育児や介護で一時的に離職した人が、柔軟に働ける選択肢を増やすものだ。
企業にとっては、優秀な人材を、その人のライフステージに合わせた形で活用できる機会になる。
〇 企業が今すべき戦略的対応:「法対応」ではなく「構造設計」
・ 2026年4月まで残り2ヶ月を切った
法改正まで、残り2ヶ月を切った。今、企業がすべきは、「法改正に対応する」ことではなく、「法改正を機に、長期的に持続可能な組織構造を作る」ことだ。
・ 具体的な3つのアクション
アクション1:疾病・障害を抱える従業員が働ける構造を作る
がん等疾病を抱える従業員への支援を機に、すべての従業員が安心して働ける業務設計を見直す。
– 業務の分散と標準化
– 柔軟な勤務制度の制度化
– 成果の可視化と公正な評価
アクション2:男女間賃金差異の分析と改善策の立案
女性活躍推進の数値公表を機に、評価制度と昇進プロセスの透明性を高める。
– 職務評価制度の見直し
– 昇進・昇格基準の明確化
– 育児との両立を前提とした業務設計
アクション3:育児・介護支援の拡充を「制度として」設計
育児・介護支援の拡充を機に、柔軟な働き方を「個別配慮」ではなく「制度として」設計する。
– 育児休業取得の促進(特に男性)
– 短時間勤務制度の柔軟化
– 復帰後のキャリア形成支援
・ 「努力」ではなく「戦略」として実行する
これらは「努力義務だからやる」のではなく、「経営戦略として」実行するものだ。
人材不足時代において、多様な人材を受け入れ、それぞれが能力を発揮できる組織だけが生き残る。疾病を抱える人、育児中の人、介護中の人、高齢者。こうした多様な人材が活躍できる組織は、結果的に、すべての従業員が働きやすい組織になる。
〇 最後に:制度は道具である、使える形で設計されなければ機能しない
・ 私の思想:「制度は道具である」
私の思想の核にあるのは「制度は道具である」という考え方だ。
道具は、使う人が使えて初めて機能する。使い方がわからない、使うリソースがない、使っても成果が出ない。そんな道具を押し付けても、現場は動かない。
今回の法改正における「努力義務」の多用は、まさにこの問題を抱えている。努力義務は、「何をすべきか」は示しても、「どうやってやるか」は企業に丸投げだ。
・ 真に効果的な法改正とは
真に効果的な法改正とは、以下を備えるものだ。
1. 企業が実行可能な具体的な道筋を示す
2. 段階的な支援制度を用意する
3. 是正可能性を組み込む(うまくいかない場合の修正ルート)
こうした設計があって初めて、法改正は現場で機能する。
・ 企業は法改正を「機会」として活用する
ただし、企業側も、法改正を「やらされるもの」として捉えるのではなく、「組織を強くする機会」として活用すべきだ。
2026年4月の法改正は、疾病を抱える従業員が働ける構造、女性が活躍できる環境、育児・介護と両立できる制度を作る機会だ。
そして、それらは未来に耐える組織を作るための投資である。
私は社会保険労務士として、この構造設計を支援する。理想論ではなく、現実を見据えた設計。善意に頼らず、制度で安全を担保する仕組み。長期的に壊れない選択を取る覚悟。
これらすべてが揃って初めて、企業は人材不足時代を生き抜く競争力を手に入れる。
https://www.clearpartners.jp/blog_94151.html

